経営の戯言

経営に関する戯言をつらつらと

強い経営者、すごい経営者の見極め方

強い経営者、すごい経営者とはどういった人なのか?その問いに私自身、明確な答えを持てないでいた。しかし、ここ数ヶ月でおおよそのあたりが付いてきたので書き留めて置こうと思う。

 

まず、”強い・すごい”の定義だが、これは決して企業の規模でも売上でも従業員の数でもない。”ぶれない経営者”が”強い、すごい経営者”だと定義する。

 

ぶれないとは何か?企業を起こした目標、目的、やりたいことなどが終始一貫しているということだ。いうなれば、それがその企業のルールになる。本当の意味で、企業のルールを作れるのは経営者のみだ。だからこそ、その経営者がぶれないのは企業にとってもっとも不可欠な要素と言えるだろう。ルールがコロコロ変わってしまう企業ではそこの従業員は生きにくくなってしまう。水槽の水を頻繁に変えてしまってはそこにいる魚達はなかなか順応出来ないのと同じだ。

 

ルールは企業によってさまざまだ。例えば「家族のような会社にしたい」だとか「この事業を広めなければいけない使命感」だったり、「日本を再度復興させる」だったり、それは実はなんでも良いのだ。ただ、そのぶれなさがあれば、そこに共感し、人は集う。半ば必然的に。そのルールの中であれば、また、そのルールを助長する事業であれば、それは実はなんでも良いのだ。

 

根本的な価値観、使命感、思考、思想、それがぶれない経営者がいる企業は強い。ぶれない経営者は、その下について指揮を執る幹部、働く従業員にとっても絶大な安心感と安堵感をもたらしているのを目の当たりにする。

 

もし、あなたが転職に迷っていたり、これからどういった企業にしようかと考えているならば、ぶれない経営者かどうかを見極めてみてはいかがだろうか?

 

 

 

追記

「うちの社長は言っていることがコロコロ変わって困る。ブレてる」という愚痴が聞こえてきそうだが、それは少し違う。経営者の視座と従業員の視座は天と地、月とスッポン、霄壌の差、天国と地獄。それほど乖離しているのだから理解できるわけがないのだ。いっていることがコロコロ変わったり、やることが変わったりすること自体は悪ではない。繰り返しになるが、根本的な価値観、使命感、思考、思想がぶれないことが最も重要なのだ。

売上よりも利益率・利益の絶対値を常に意識している経営者がいる企業は強い

全ての企業がそうだとは言わないんですけれども、ここ数ヶ月、非常に多くの経営者にお会いする機会がある。その中で、強い企業とそうでない企業を見極める一つの手段を見つけた。

それは、売上だけを伸ばそうとする経営者がいる企業は相対的な競争力を失っていく傾向があり、売上よりも利益率・利益の絶対値を常に意識している経営者がいる企業は非常に強い。そんなイメージがある。当たり前ではあるんだけどね。経営者は見栄との戦いも常にあるわけで。

スタートアップのような企業に関しては前者には当てはまらないので見極めには要注意だし、後者の企業で利益率・利益の絶対値ばかり気にすると個人商店を抜け出せないので、それには注意が必要だ。だからその折衷案というか、成長のロードマップをしける人は地方には多くないのは言わずもがな。

勿論、経営者の好みのスタイルといえばそれまでなんだがね。

つまり私が何を言いたいのかというと、経営者は自分がどういった組織を目指しているのかを常に明確化しておかないと、採用のミスマッチが起こってしまうということだ。そのミスマッチは双方にとって不幸しかもたらさない。

 

大事なことはフォーカスすること

組織運営をしていると末端だろうが中堅だろうが内野に限らず、外野からも突然ボールが飛んで来ることがある。その最もたるものが「新規事業」であろう。新規事業が出ない組織は悪!みたいな風潮すらある。でも、果たして本当にそうだろうか?

 

一見、もっともらしそうな意見こそ注意が必要だ。

長い目で見て勝つ企業とは最もフォーカス出来ている企業にほかならない。反対に、ジリ貧になる企業は最もフォーカスできなかった企業だ。前者の企業は何の企業なのか明確である。後者の企業はよくあるその他の1企業に過ぎない。

もっともらしそうな意見こそ皆を巻き込んでしまう可能性があるから注意が必要だ。経営陣はそのことを理解し、問い続けなければいけない。

大事なことはフォーカスすること。バッターボックスに立ち続けること。世の中の9割の企業はこれが出来ないのだから。

 

--補足--

勿論、同じことを粛々と繰り返すことによる閉鎖感のようなものは否めないが、これこそが経営側の腕の見せどころなのではないだろうか?自戒も込めて。

急成長を遂げる企業に大事な2つのこと

さまざまな企業から相談を受ける中、急成長を遂げる企業とそうでない企業があり、中を見ているとこれらの企業には決定的な2つの違いがあることに気がついた。

急成長を遂げる企業には「収益」と「社会性」の2つが必要不可欠なのだ。

「収益」とはすなわち利益である。利益が無ければ満足な支払いも行えないし、良い待遇は行えない。つまり給与は払えず良い人材を集めることが出来ない負のスパイラルに陥る。かといって利益だけを積み重ねることも経営者の懐を温めてしまうだけであり、それではただの金儲けになってしまう。そんな時代は終わった。村上 世彰氏のいうコーポレート・ガバナンスにも通ずるものがあるが、その側面が「社会性」である。そのビジネスを通して世の中を如何に前進させることが出来るかが問われているのである。

 

念のために補足するが、「収益」だけでもだめだし、「社会性」だけでもいけない。社員の給料もまともに払えないNPOに存続の価値はない。

 

ビジネスが伸びない、とお悩みの経営者の皆様、あなたのビジネスに「収益」と「社会性」はありますか?

 

これから衰退していく企業の見分け方

 
転職する人や買収を検討している人の一助になればと思って書く。
 
社内のノウハウをベースにした教育事業に乗り出したらその企業は衰退の一途を辿っていくだろう。そのノウハウに伴った人材派遣も同じだ。投資とは最大のリターンを得るために行うものである。であれば、自社の貴重なノウハウや大切な人材を外に出す理由などないのである。それのリソースを自社に向けることが本来最大のリターンが得られるはずだろう?
 
社内のノウハウをベースにした教育事業に乗り出したらその企業の経営者のレベルの低さを如実に表している証拠だ。衰退の一途しかないのだ。

「人が欲しい」という会社で離職者の多い企業は、先ずは社員満足度をあげるべき

企業には"当たり前のようだが当たり前に出来ていないこと"が多くある。その代表的な一つが社員を引き止めることだろう。そんな企業に限って「人が欲しい」、「人が足りない」という。まずは社員満足度をあげるべきではないか?

勘違いしてほしくないのは、働き方や賃金だけが社員満足度を上げる施策ではないということだ。むしろこれらは戦術レベルの話になり、本質的な社員満足度の改善には成りえない。

では、本質的な社員満足度を上げる方法とはなにか?それは会社のビジョンの明確化である。日本は豊かな国だ。仕事を選ばなければ何をしてでも食っていける。これだけ飽和した消費社会の中で唯一根源的に求められるものは"承認欲求"であり、もっとわかりやすく言えば、"働きがい"や"働く意味"をおいて他にない。

今の日本、これからの日本では何をするのでも理由が必要で、それを突き詰めようとすればするほど、巻き込む人間が多くなればなるほど、その動機を求められるようになるだろう。この流れは不可逆だ。昨今では都市部におけるホワイトカラー職に顕著に現れていると感じるが、この流れは早かれ遅かれ地方部にもたどり着くだろう。

というわけで、「人が欲しい」という会社で離職者の多い企業は、先ずは社員満足度をあげるべきなのだ。冷静に考えても、コスト的にそのほうが安上がりなのは言うまでもない。

 

--補足--

勿論、だからといってだれでもかれでも引き止めれば良いというものでもない。社員離脱率0%謳う企業があるが、あれは悪手以外何物でもない。企業には新陳代謝が必要不可欠だからだ。汚い汚れた血液を体内に残しておいて良いことなどなにもないのだから。だからこそ、キーとなる重要人物は徹底的にフォローすべきだろう。少し過剰なほどにね。

問題から目を背ける癖の付いている経営者がいる企業は伸びない

プロダクトだけを磨き続ければよかった創業期とはわけが違ってくるのが拡大期だ。プロダクトの問題のみならず、金の問題、人の問題…経営者は数多くの問題に直面する。

その際にどうしても目を覆いたく成る嫌な問題に出くわすことなんて日常茶飯事だろう。だけど、その問題から目を背けてはいけない。私は拡大期に「バックオフィスの為に起業したんじゃねー!」と税理士、社労士、弁護士に叫んだ経験があるほどだ。それは未だに彼らの中で名言、いや、迷言となっているようだ。

恐ろしい危険に背を向けて逃げてはいけない。逃げれば危険は増幅する。しかし、恐れず即座に挑んでいけば、その危険は半減する。何事からも逃げてはいけない。絶対にだ。 by ウィンストン・チャーチル

 かのウィンストン・チャーチルがいうように、目を背けた分だけ、その問題は増幅する。いつか解決しなければいけない問題なのであれば、今すぐに、その問題が最小のうちに真正面から向き合うべきなんだ。