経営の戯言

経営に関する戯言をつらつらと

豊かさとは本当に選択肢の数、幅なのか?

ずっと信じていたものがある日突然崩れ落ちることがある。人間関係しかり、宗教しかり、資本主義しかりだ。私にもそれがここ数日で舞い降りたので書いておく。

豊かさとはなにか?その答えを私は持っていた。タイトルの通り、選択肢の数、幅だ。選択肢があればあるほど人は豊かになっていく。その為のきっかけとしてお金は少ないよりは多いほうがいい。

沖縄にいきたい。あんな車に乗りたい。牛角じゃない焼肉が食べたい。こんな洋服を着たい。それをノータイムで叶えられる手段、それがお金であり、お金の数で選択肢の数、幅が広がることは当然だし、個人のスキルによっても仕事の選択肢が広がるという意味において、スキルを付けることには意味がある。そういったことなどによって人は豊かになるはずだと確信めいたものを持っていた。これが持論だった。

ところが2017年に入り、多くの方々と話しているときにふと気づいてしまった。選択肢の数、幅で幸せになれる人は、その選択肢を活かせる人だけなのだと。体感値で申し訳ないが、それは世の中の1割程度の人だろう。

残りの9割は自発的に活動をすることはほとんど無く、与えられた仕事を淡々とこなす人だ。この人達にはわかりやすい目標、指標、わかりやすい大義名分さえあれば十分で、自分の仕事や目標に対して特に問題意識を感じず、いや、感じてたとしても大手を振って変えようとは思わないだろうが、それを粛々とこなしていくだけなのだ。

この手の人達に選択肢を与えるのは拷問に近い。これまで使わなかった脳の部位を強制的に使わされ、普段取らないような選択をするようになる。これはストレスといってもよいかもしれない。

宝くじの例を出そう。宝くじが当たった人の末路を皆ご存知だろう。慣れない不動産や投資に手を出し、自己破産、最悪の場合は自殺まで引き起こしているニュースには枚挙に暇がない。これこそが急に選択肢を与えられてしまった選択肢の扱いに慣れていない人間の末路だ。

つまり、"普通の人"に選択肢を与える事は必ずしも豊かさになるとはならないのだ。

私はこれに気づいたときに、これまでの行動を改めた。選択肢があれば豊かになる人と、そうでない人を明確に線引して接しなければならないし、見極めなければいけないのだ。